介護のお題 「リーダー」

いつも悩んでいることなのですが、良い「リーダー」になるためにはっていつも考えています。

自分自身がリーダーでないときには、はっきりとした良きリーダー像がありました。

それは、仕事ができて、やさしくて、包容力があって、判断が早くて、部下思いで、いざというときには責任をとってくれる・・・・・・

簡単に言うと、自分の一番の味方になってくれる、それがリーダー像でした。

時間がたち、自分がリーダーとなりました。

昔思い描いていた理想の良きリーダーとなれたかというと、そうではありませんでした。

自分のことはよくわかりませんが、間違いなく「小うるさい、ひょろっとした、面倒で細かい、まじめ馬鹿」なリーダーだと思います。

そうだとわかっていても、そんな自分が嫌になることも多く、最近ではかなり悩んで(というかいつもなんですが)しまいました。

部下の能力を伸ばす。それが難しい。

人は生まれながらにして、運命や人望が決まっているのだと、私の大学時代の親友が言っていたことを思い出します。

長所を伸ばすのはわかっているのですが、どうしても直してほし短所を改善してあげられない。自分で変わろうと思わない。そんな職員が多いのです。

いつものセリフですが、「低賃金、マンパワー不足、きつい汚い」の介護職。成果主義のご商売ではないので、モチベーションは入所者を思う気持ちだったり、感謝の言葉だったり、ADLやQOLの目立った維持向上成果のみ。

大体の職員は、変わらない施設環境に完全に同化してしまい、新しい改新の動きには大きな抵抗感を感じるものです。

「え?!なんでそこまでやるの?」

「正直無理です」

「適当になればいいのかな・・・」

看護師だけではなく、介護のなかにも多くこのような考えを持ち、

日頃時間があればできるのに~と思っているより良い介護を、

時間があってもやらないのです。

話が脱線しましたが、私のすぐ下の、将来私の後釜になるだろう職員も、人間みな同じ。

結局、無理なことはやらないし、定時で上がれない仕事はできない。

そんなスタンスです。

そんな彼らにやる気を起こしてもらうためには、どんなに喝を入れてむなしいだけ。

思い切って、彼らの仕事を増やすのではなく、ぶんどってみました。

助かりますとは言われました。以上。

どうやら、私は仕事をしていないと思われているようだ。

そろそろ、この施設も末期状態。有志の数少ない職員も、少数派になりつつある。

現の私も、スレるなといつも心に誓って頑張ってきたけれど、一度スレさせてください。

入所者には申し訳ないことになるかも。

少し逃げます。

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介護のお題 「夕食の時間」

事件は現場で起きる。なんて有名な言葉がありますが、うちの施設では会議の場でもやりあうなんてことが起きます。普通ですか?

私の施設では、経管栄養の入所者が10名以下の人数でいます。

以前から

経管の夕食時間がお昼すぎ(詳しい時間は恥ずかしくて言えません)だったのです。

そのため、午後の余暇活動の時間に経管の方が離床し参加することができない状況が続いていました。

あるきっかけで、上司と相談し看護師に時間をもっと遅くしてもらえないか提案することに。

私の目算ではコーヒータイムを楽しんでいる看護師さんですので、時間を少々ずらしたところでなんの問題も起きないと踏んでいました。

まぁ悩みながら了承してくれて、

「おお~理解があるな~」

と上司と少し関心していた矢先、数多くのトラブル発生。

看護師さんが今まで以上に食事介助をしなくなったのです。

それにもまして、そのほかのことも手伝わなくなりました。

上司が会議で食事介助に入ってほしいと論理的に建設的に話してくれたのにもかかわらず、看護師は激昂。

「いつも思っていたけれど、介護職員は下膳や摂取量チェックなどをしない」

「看護師はあくまでお手伝いなのだから、きちんとやってほしい」

????

いつもこうなのです。

看護師にとって介護は仕事ではないらしいのです。

介護は介護職員の仕事。看護は医療的なものだけなのです。

でも、論点も違うし、ただの上げ足取り。

人手が少なく、できるだけ食事介助や口腔ケア、トランスに介護力を割きたい。

看護師はそれらをほとんどしない(できない)ので、下膳やらチェックやらをお願いしたい。

それを理解できずに、ただただ自分たちがしてる仕事は「看護業務」ではないことを押すのです。

この看護師さんが施設では評価され表彰されているのです。なんと理不尽な。

私の上司と一緒に戦って、残った結果がこれです。やる気なくします。

でも、それでも、経管の夕食の時間が夕方にずれたので良かったです。

午後に離床でき、レクに参加できるようになって良かったです。

ずーっと天井しかなかった景色に、彩を加えられた。

外にも出れた。

食事の時に忙しくなってしまったけれど、それ以上に得られたものがあったと信じています。

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介護のお題 「経管栄養」

またまた事件が起きました。

ある入所者が最近、食事摂取量が低下して、ムセリも見られるようになってきたのです。

ということは、答えが決まってくるのです。そう、看護師さんは経管栄養にしたがるのです。

看護師さんはこう言います。

ムセリが強く、肺炎のリスクが高いので経管栄養が望ましい。ご家族は望んでいないが、説明して先生にも話す。

ごもっともです。でも待ってください。

いつもいつも、苦しみや痛みや不安を訴える入所者に年だからしょうがないと言い放っている看護師さん。こんな時ばっかり手早く動くのはなぜですか?

経管栄養になることは、入所者やご家族が望んでいることなのですか?

施設の唯一といっていい食べるという楽しみを奪うんですか?

まだ食べれますよ。食事形態を変えて、食事姿勢を工夫し、食事介護の方法をしっかりやれば、ほら、食べるのが少くなったのも、まだ1~2週間だけで、最近また食べれるようになってきましたよ。

過去にも2人、経管栄養になりそうになった方がいました。また同じ過ちを繰り返すのですか?

もう勘弁してください。ただでさえお昼2時に夜の経管栄養を流す看護師さん。経管栄養の方の離床に反対する看護師さん。

もうずっと同じ天井を見続けなくてはならない生活をせざるを得ない方を増やさないでください。

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介護のお題 「評価」「チームプレー」

最近、いらいらすることばかりです。

きっかけは4月という季節がらの人事です。

日頃、利用者を見下すような態度や発言をしている看護師が評価をされたのです。

社会とは厳しいものだとは分かっていたはずですが、震災の時も、そうでないときも、最前線でがんばっているのは介護職員なのに、日頃ティータイム雑談をしている看護部が評価されるのか。

利用者のことを一番に思っている人は評価されないのです。評価される人間とは、ミスせず、従順で、うまく立ち回れる人。必要と思われる人。

がんばった実績ではないのです。利用者の笑顔をたくさん作った人ではないのです。

それは介護の世界もなにも関係ない、この社会の人間性の多数派なのです。

それは介護職員の中の多数派でもあります。

最近チームプレーができずバラバラです。こうなることはわかってはいたのですが、どこかで信じていた自分が馬鹿らしいと思いました。

休憩をせずに一生懸命頑張っている職員がいるのに、横目でみて休憩に入る職員。なにも感じずに談笑する職員。

昔は違った。誰かが終わらなければ手伝う心があった。なにか手伝うことないですか?と聞いていた。

業務を組んだ私が悪いのだが、時間を作ればそこに甘えていってしまう人間。時間があればもっと良い介護ができると思っている人間。

そうではない。時間など関係ない。先にあるべきなのは、お年寄りを思いやり、精一杯介護をしようという心。それさえあれば、時間は作られ良い介護ができる。

忘れてませんか?利用者が一番大切にされなければならないこと。

それを忘れた施設。利用者は認知症で体が不自由で、長く生き作られた性格や習慣がある。家庭の事情も複雑だし、介護制度ももう少し直してほしいと思う。

それらをすべて理解し、受容し共感して介護することが仕事。なのに施設も、そこに働く人間も忘れてしまう。

ただ問題なく時間が過ぎればそれで良いのだ。それが一番。評価される。

久しぶりに辞めたいと思った。本気で。

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介護のお題 「ケアマネ研修」

昨年、運良く介護支援専門員の試験に合格したことで、研修に行く機会がありました。もともとケアマネにはなりたくないと思っていましたが、会社の指示もあったことで一応試験を受けた結果です。

ケアマネの研修を終えて驚いたことがありました。それは、研修の内容。難しい専門用語はともかく、ICFや面接技術など知識技術も含めて、お年寄りのニーズ、要望や希望を利用者本位の立場で考えることを指導していること。

当然といえば当然なのですが、比べてしまったのです。自分の施設、そして介護福祉士のレベルと。

研修先で講師をしているケアマネですが、教えるからには当然知識は持っているのです。まず、自分の施設にここまで人に教えられる人材がいるかと考えました。そして、資格は違えど、施設にいる介護福祉士の中に、人に教えられるだけの知識や技術を持ち合わせている人材はいるかと。

また、こうも考えました。

この研修は現場職員にまさに必要なのではないかと。

ケアマネ資格を取るために勉強し、それを生業にしようとしている人たちが集まっているのだから、向上心が少なからずある。

しかし、漫然と現場で業務として日々仕事をしている人たちは、研修の機会もなく、学ぶ意欲も湧かない。

つまり、本当に研修が必要な人たちは、私の施設にいる看護師であり、厨房事務職員であり、介護職員なのだと。

世の中とは残念ながら、向上心がある人間には学ぶチャンスがやってくる。そうでない人にはやってこない。非常に残念に思いながら、研修を終えました。

居宅でなんとか生活しているお年寄りのお宅に訪問させていただきました。やさしく、気さくでお話好き。体は衰えても、お話はしっかりされている。これから大変になるかもしれないが、今のところこれ以上の介護サービスは受けるつもりはないとのこと。

初めての訪問調査で緊張している私を和ます話。戦争時代を経て夫婦二人支えあって生きてきた。なんとすばらしい人生。この人生のお手伝いをさせてもらえる介護ってすばらしいのに、最後、私に頭を下げてこういいました。

「本当にマネージャーさんには頭が下がります。みんなを助けてやってください。」

自分のことではなく、他のお年を召した方の心配をしている。若輩者の私に頭を下げている。

この光景を現場職員は。特に私の施設の職員は知らなくてはならない。

私は、ケアマネにはなりたいとは思いません。なぜなら、いくら良いケアプランを立てても、それを実行するのは現場職員。手を触れ、お手伝いするのは現場職員だから。

現場を変えることができるのも現場職員。だから、自分が今の持ち場を離れさせられるまで、お年寄りが幸せにくらせるように努力することをしたい。

今回のケアマネ研修で再認識させられました。

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介護のお題 「大震災」

何とか復旧がひと段落。

こういうとき、老人ホームが受けるダメージはいろいろなものがあるのだと感じました。

ライフラインでは断水が大変でした。まず、暖房が使えない。

施設は冷温水機というボイラーでエアコンにお湯を供給するタイプ。断水していると使えないのです。

夜は真冬の寒さ。室温は10度以下になりました。

水が使えないと、清拭が使えない、食器類を塩素消毒できない、水が飲めないなど様々な不具合が出ています。

特に水が飲めないのが怖かった。お年寄りはただでさえ水を飲みたがらないのに、さらに物理的に飲めないとなると、寒さや食事量減少もあいまって脱水の危険が高くなるからです。

次に食料。スーパーは閉店。業者も来れない。施設に蓄えてあった非常食を小分けにして食いつなぐ。

食事の量は粥とおかずをあわせても手のひら一つに乗る程度。低栄養になる可能性を心配していました。そして食事形態も軽く刻んだだけ。ミキサー食の方へは命がけな食事です。

このときに助かったのが、施設を以前利用していたご家族からの支援物資。ゼリー飲料や高栄養飲料を大量にいただいた。摂取量が少しでも少なければ、積極的に補食できて助かりました。

職員も避難している人が出たり、ガソリンが足りず出勤できないなどで人手が不足することを予測しながら、なんとか介護業務を回す日々。

紙おむつも節約しながら、毎日ひっそりと生きる為に力を注ぐ。そんな生活でした。

こんな時に現れるのが「人柄」その人そのものの本性が見えてきました。

こんな時はどんな人も協力してくれると思っていました。しかし、それは違うのだと感じました。

日ごろ現場に出ない看護師さんは、こういうとき何もできないのです。でも勇気を持って介護側を手伝いたいと手を挙げて手伝ってくれた方は1人しかいませんでした。

事務所にいるお偉いさんは、現場に来て指揮をとることはしませんでした。いつも通り、現場責任者の私たちに大雑把な指示を出すだけ。

もちろん、職員も被災者だから良いとも悪いとも言えませんが、もっと休みたいというパートさん、近くなのにガソリン切れでこれないという職員、時間があるのに利用者に寄り添わないで私語をしゃべる職員同士。

身を削って施設やお年寄りのためにがんばる人と、自分や自分の家族のことを優先させる人。その狭間でなんとか入所者の命を守り、健康を崩さないように配慮することの難しさを感じた20日間でした。

被災した福祉保険施設の方々。私の施設よりひどい状況のところも多く、そのご苦労と悲しみ、怒り、お察しします。こんな時、同じ福祉の人間として自分の施設を守ることしかできないことに、力のなさを感じます。

どうかもう少し耐えてください。そして、いつもの笑顔あふれる日常が戻りますように祈っております。

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介護のお題 「被災」

私の施設も「東北関東大震災」で被災しまいました。エレベーターシャフトが折れ、断水し、食料の確保も難しい状況です。

暖房もとまり、日々寒いなか生活している入所者には不自由な思いをしていただいています。

ただ幸いにも当施設は沿岸部ではなかったこと、電気やガスが生きていることで何とか生活を営むことができます。けが人もいません。

被災した福祉関係者の皆様、どうかがんばってください。

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介護のお題 「言葉」

人は言葉を使います。

そして、言葉を使い話すことは、コミュニケーションの一つです。

私たち介護に携わる人間は、コミュニケーションを大切にしなければなりません。

なぜなら、お年寄りは耳が遠いかもしれません。

もしかしたら、目が見えずらいかもしれません。

そして認知症かもしれません。

ですから、コミュニケーションの知識や技術を持ち合わせなければ、

お年寄りの本当の気持ちを上手にくみ取ることができません。

いや、知識や技術の前に本当は、介護をやる人間には大切にしなければ

ならないことがあると思います。

それは簡単なこと。

「お年寄りを思いやる心」を持つことです。

看護師がある入所者にこう言い放ちました。

「あぁ~憎たらしい顔して、ほんとに嫌だ」

看護師が別の入所者にこう言い放ちました。

「早く死んでいただいきたいわね~」

私は、はらわたが煮えくり返り、

心の中で涙をながし、

何も注意せずにその場から離れました。

たしかに、それぞれの入所者は看護師にそのような発言をさせるだけの

行為や状態だったのかもしれません。

それでも、私だったら本人の目の前では言いません。

影で言っても言葉を選びます。

そして、私が看護師に意見するのを制限されていなければ、

堂々と注意していた。

入院先の看護師とは大違い。

人間は環境がそうだと、人間性もこうなってしまうのかと思ってしまう。

人の善意なんて、儚いものだと思わざるを得ない。

お年寄りを思いやる心をしっかりと持ってさえいれば、

こんな言葉が出るはずもない。

心がないから、その人の魂が現れる形で言葉がでる。

自分はそうはならないと、また心に誓いました。

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介護のお題 「命の始まりと終わり」

病とはおそろしいもので、若干30歳の私にもそれは突然おそってきました。

健康診断での悪い結果を受けての再検査。どうも腎臓が悪いらしい。

自覚症状はなく、いたって元気。

しかし、精密な検査をすると私の腎臓は機能が落ちているらしい。

昨年はホントにいろいろあった。

子供が生まれ、自分は入院し、ケアマネに受かった。

良い年か悪い年か、よくわからなかったが、人生の経験にはなった。

いろいろあったおかげで、知らなかった自分を発見できたし、

自分を再発見することもできた。

そしてなにより、「介護とは」というとても難しい哲学的な結論に近づけた。

出産「生命の誕生」と、入院「命の終わり」を間近で見れたから。

命の誕生を私は目の前で見る機会をいただきました。

それはそれは壮絶。そして感動。それは生まれる、生きるということそのもの。

客観的に言えば、修羅場で血まみれ。痛いなんて言ってられない。

大きな叫び声が飛び交い、小さな命を守ろうと全員が必死な現場。

旦那の存在は小さい。ただ見守り汗を拭くまで。それ以上何もできなかった。

しかし、それが命の誕生。この壮絶さがなければ本当ではない。

出てきた元気な男の子は、紛れも無く自分と嫁の分身。

はかなく壊れそうな体を、精一杯震わせ、呼吸をする。生きている。

人はみなこうやって生まれてきた。そして繰り返される。しばらくたってそう思った。

入院は突然にやってきた。

医師からの診断を神妙に聞く。マイナス思考が頭を回る。

「死期」を想像する。自分勝手に自分の余りの人生を想像する。

入院すれば治るというものでもなく、症状を抑えるための治療。

それでも最善の治療。それしかない選択肢。

入院すると、そのちっぽけな思考はすぐに消えた。

4人部屋の病室は隣とカーテン一枚。

同じ入院患者だが、病気はそれぞれ違う。

自然と耳にする病状。医師や看護師の会話。

もちろん自分より高齢な方ばかりだが、仕事柄かいろいろなことを思う。

ガン、原因不明の糖尿病、気切で声を失った人、認知症の老人。

ここには自分より重い病気を抱えている人がたくさんいる。

自分は退院したら働けるが、働けない人たちが多い。

それどころか、社会的にも疎遠になり、余命もわからない人もいる。

自分はまだまだ幸せだ。

看護師が夜中走りだす。

2日3日とあけずに。

毎日いろいろあるようだ。

そう、ここは病院。命が尽きようとしている人を助ける場所。

だから人の死は残念だが毎日のようにあるのだ。

もちろん、医師も看護師も情や感傷に浸っている場合ではない。

あくまで冷静に、正しい手順で、最善の方法を選択する。

そんなスタンスを持ちながらもすばらしいと思った。

それは「やさしさ」。

受容と共感の姿勢がすばらしかった。

痛みや不安に対してのケア、というか話しかけがすごかった。

なんでも話を聞いてくれた。それがどんなに救いとなるか、実感した。

魂が救われる感じがした。

退院の直前には、自分が感じていた「死期」なんて吹っ飛んだ。

それは、どれだけ自分が小さいを感じ、

医療スタッフに感銘を受けたから。

数十年後、死ぬことは怖くない、輝くフィナーレなんだと感じれるぐらいの発見だった。

病院と介護施設の違いは多々あれど、

自分が経験したこの2つことを活かして生きたい。

このブログをご覧の方、どうぞ今年も健康に気をつけて、

実りある年でありますように。

そして、介護の現場がもっとお年寄りにとって癒され楽しいものになりますように。

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介護のお題 「利用者本位 2」

介護の現場、特に特養の介護職員のみなさん、ふんばってますか?

私はなんとかふんばってます。

利用者本位って昔から言われてますが、なかなかできないものだと感じています。

私の考える「利用者本位」っていうのは、簡単に言えば、利用者の言うことをすべて聞くこと。

たとえば、

同じ訴えをする方の話を、嫌がらず何度も聞くとか、

立つと危ないのに立ってしまう方にも、立たないでと言わないで付き合うとか、

何度もトイレに行きたがる方には、何度でもトイレ介助をするとか、

まるで高級ホテルのホテルマンのように丁寧で紳士的な言葉で、

召使いのように従順に、

法律の範囲内であれば何とか希望を聞きかなえる弁護士のように、

時間と人数と、自分たちができる範囲の最大限に利用者のためを思い行動すること。

それらはとても難しいことのように思えます。

でも、私は日々これらのことを意識しながらこの1年介護した結果、

まるでそれが当たり前の癖のようになり、

苦労もほとんどなく、自然にできるようになってきました。

ケアプラン、処遇、情報提供、連携・・・すべてにおいて「利用者本位」は大切な要素。

しかし、文献にのっているような小難しいことはぬきにして、

お年寄りの言うこと、希望していることを素直にきいてみてください。

ものごとを言葉に出して言えない方ならば、自分だったらどう思うだろうと考えれば、

答えはすぐにわかるはずです。

介護職に就いた年数分、いろんなことを経験してきました。

たくさんの方が亡くなりました。

出合った分の人生の終末を遠くから見ました。

そして、また今日も新しく入所する方がいる。

その方に対して、

人生の最後の家である特養ができることって、イコール=近くにいる職員ができること。

今、まさに今できること。

数メートルの距離にいる私たちが、

とても忙しく通りすぎようとしている私たちを呼んでいるお年寄りに近づき、

「どうなさいました?」と聞けば、

その難しく、簡単な答えがわかるはずです。

そう、「利用者本位」はそこから始まり、そこに行き着く究極の介護哲学なのかも。

難しい知識を頭に詰め込むのは、2番目でいいと思います。

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