介護のお題 「家族の思い」
最近、私の祖母が認知症になりました。
介護という仕事をしていて、自分の親族が認知症、もしくは要介護状態になることを覚悟はしていました。しかし、いざそうなってみると、意外と何もできない自分がいます。
介護職(プロ)として現場で情熱を持ち、よりよいサービスを提供しようと様々な知識技術を学んだつもりでした。しかし、実際には学んだその知識を100%使えない自分がいます。
徐々に進行していく認知症。もちろん、自分は医者ではないので進行を止めることはできません。医療分野のことは医師に任せて、自分ができることと言えば、「アドバイス」ぐらい。働いている以上、直接的な介助は時間の空いている時のみです。家族としてできることの少なさに無力感を覚えたました。
そんな中、施設の入所者のリハビリについてちょっとしたことがおきました。
入院後、経管栄養で返ってきたある入所者。病院ではご家族の希望もあり、リハビリをやっていました。歩行できるまでに回復し、私の施設に。しかし、体調が安定せず、しばらくはベッド上での生活でした。
体調が安定後、病院のリハビリ計画書を見た私は、担当者にリハビリを計画検討するように指示しました。ご家族が回復を望んでおられ、ADLも予想以上に高い。(といっても職員が支えての数メートル歩行ぐらいですが)
ケアマネ、担当者ともに快諾され、いざリハビリの具体的な内容に入ったとたん、看護師とリハビリ担当者から苦言が出ました。
「なんでそこまでやらなくてはならないの?」
「歩行リハビリは危ない。骨折させたらどうするの?」
そんなことは私は重々承知なのです。
ご家族にリハビリの話をした時の、あのうれしそうな笑顔。希望あふれる目。大切な人を思う言葉。それにできるだけ応えていくことが、私たちの仕事。
リスクはどんな時もある。リスクを恐れすぎては何もできない。リスクがわかるのであれば、ご家族に説明をし、理解をしてもらう。さらに、リスクを少なくしつつ実現させるための方法を考え実施し続けることが私たちの仕事。
では、経管になったら、もう歩いちゃだめってことですか?
食堂に行っての経管注入もだめ?
ベッドから起きることもだめ?
ご家族が悲しむのを見ているだけ?
しょうがないの?
じゃあ、なんのために生きるの?
責任逃れの方法ばかり。自分たちが安全安定かつ楽に仕事をすることが最優先なんですか?と言いたい。
私の祖母も認知症。いずれは歩けなくなり、オムツになり、私たちを忘れ、食べれなくなり、経管栄養になるかもしれない。でも、その時に良い介護職員や看護職員、医師、ケアマネに出会えたなら、祖母は可能な限り充実した生活を送れるでしょう。
そして、私の父、兄弟、親戚は「できる限りのことをした」と感じ、最後の時を充実した悲しみで迎えられるでしょう。
介護は、本人のためでもあるが、その家族のためでもあるんじゃないかと再び感じた今日この頃でした。みなさんはどう思いますか?
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