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介護のお題 「言葉」

人は言葉を使います。

そして、言葉を使い話すことは、コミュニケーションの一つです。

私たち介護に携わる人間は、コミュニケーションを大切にしなければなりません。

なぜなら、お年寄りは耳が遠いかもしれません。

もしかしたら、目が見えずらいかもしれません。

そして認知症かもしれません。

ですから、コミュニケーションの知識や技術を持ち合わせなければ、

お年寄りの本当の気持ちを上手にくみ取ることができません。

いや、知識や技術の前に本当は、介護をやる人間には大切にしなければ

ならないことがあると思います。

それは簡単なこと。

「お年寄りを思いやる心」を持つことです。

看護師がある入所者にこう言い放ちました。

「あぁ~憎たらしい顔して、ほんとに嫌だ」

看護師が別の入所者にこう言い放ちました。

「早く死んでいただいきたいわね~」

私は、はらわたが煮えくり返り、

心の中で涙をながし、

何も注意せずにその場から離れました。

たしかに、それぞれの入所者は看護師にそのような発言をさせるだけの

行為や状態だったのかもしれません。

それでも、私だったら本人の目の前では言いません。

影で言っても言葉を選びます。

そして、私が看護師に意見するのを制限されていなければ、

堂々と注意していた。

入院先の看護師とは大違い。

人間は環境がそうだと、人間性もこうなってしまうのかと思ってしまう。

人の善意なんて、儚いものだと思わざるを得ない。

お年寄りを思いやる心をしっかりと持ってさえいれば、

こんな言葉が出るはずもない。

心がないから、その人の魂が現れる形で言葉がでる。

自分はそうはならないと、また心に誓いました。

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介護のお題 「命の始まりと終わり」

病とはおそろしいもので、若干30歳の私にもそれは突然おそってきました。

健康診断での悪い結果を受けての再検査。どうも腎臓が悪いらしい。

自覚症状はなく、いたって元気。

しかし、精密な検査をすると私の腎臓は機能が落ちているらしい。

昨年はホントにいろいろあった。

子供が生まれ、自分は入院し、ケアマネに受かった。

良い年か悪い年か、よくわからなかったが、人生の経験にはなった。

いろいろあったおかげで、知らなかった自分を発見できたし、

自分を再発見することもできた。

そしてなにより、「介護とは」というとても難しい哲学的な結論に近づけた。

出産「生命の誕生」と、入院「命の終わり」を間近で見れたから。

命の誕生を私は目の前で見る機会をいただきました。

それはそれは壮絶。そして感動。それは生まれる、生きるということそのもの。

客観的に言えば、修羅場で血まみれ。痛いなんて言ってられない。

大きな叫び声が飛び交い、小さな命を守ろうと全員が必死な現場。

旦那の存在は小さい。ただ見守り汗を拭くまで。それ以上何もできなかった。

しかし、それが命の誕生。この壮絶さがなければ本当ではない。

出てきた元気な男の子は、紛れも無く自分と嫁の分身。

はかなく壊れそうな体を、精一杯震わせ、呼吸をする。生きている。

人はみなこうやって生まれてきた。そして繰り返される。しばらくたってそう思った。

入院は突然にやってきた。

医師からの診断を神妙に聞く。マイナス思考が頭を回る。

「死期」を想像する。自分勝手に自分の余りの人生を想像する。

入院すれば治るというものでもなく、症状を抑えるための治療。

それでも最善の治療。それしかない選択肢。

入院すると、そのちっぽけな思考はすぐに消えた。

4人部屋の病室は隣とカーテン一枚。

同じ入院患者だが、病気はそれぞれ違う。

自然と耳にする病状。医師や看護師の会話。

もちろん自分より高齢な方ばかりだが、仕事柄かいろいろなことを思う。

ガン、原因不明の糖尿病、気切で声を失った人、認知症の老人。

ここには自分より重い病気を抱えている人がたくさんいる。

自分は退院したら働けるが、働けない人たちが多い。

それどころか、社会的にも疎遠になり、余命もわからない人もいる。

自分はまだまだ幸せだ。

看護師が夜中走りだす。

2日3日とあけずに。

毎日いろいろあるようだ。

そう、ここは病院。命が尽きようとしている人を助ける場所。

だから人の死は残念だが毎日のようにあるのだ。

もちろん、医師も看護師も情や感傷に浸っている場合ではない。

あくまで冷静に、正しい手順で、最善の方法を選択する。

そんなスタンスを持ちながらもすばらしいと思った。

それは「やさしさ」。

受容と共感の姿勢がすばらしかった。

痛みや不安に対してのケア、というか話しかけがすごかった。

なんでも話を聞いてくれた。それがどんなに救いとなるか、実感した。

魂が救われる感じがした。

退院の直前には、自分が感じていた「死期」なんて吹っ飛んだ。

それは、どれだけ自分が小さいを感じ、

医療スタッフに感銘を受けたから。

数十年後、死ぬことは怖くない、輝くフィナーレなんだと感じれるぐらいの発見だった。

病院と介護施設の違いは多々あれど、

自分が経験したこの2つことを活かして生きたい。

このブログをご覧の方、どうぞ今年も健康に気をつけて、

実りある年でありますように。

そして、介護の現場がもっとお年寄りにとって癒され楽しいものになりますように。

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